先月,たまたま書店でめぐり逢い本棚に迎え入れた,東松 照明の写真集『新編 太陽の鉛筆』を定期的に読み返している.『太陽の鉛筆』は,ところどころ東松 照明のエッセイが挿入されていて,その中に「被写体に対する愛着」のような文章があり目に止まった.
ちょうど先日,「ひと月ごとに撮った写真を振り返る」のようなことをやっていて,自分の考えていたことと似たようなことが書かれていたので,気になったんだと思う.カメラであれ,iPhoneであれ,やはり人は「愛着を感じるもの」「好意的な出来事」を記録したがる傾向にあるのだなぁ…と感じた.
自分がどんなものに愛着を持っているのか.これが分からなくなったときは,適宜インスタのタイムラインを振り返ってみるとよいかもしれない.
ある種の懐かしさ,などといいうと奇妙に聞こえるかもしれない.が,実際に写真家は,被写体に対するフェティシズムから自由でない.対象と向き合って,反感をもつことはある.そのときは,たいがいシャッターを切らないのであって,写すという行為は,建前は何であれ,意識するとしないにかかわらず,肯定的に対象を受けて入れることを意味している.
引用: 東松照明著『新編 太陽の鉛筆』より
愛憎と紙一重という.まさに「占領」は,ぼくにとって,矛盾の統一体としてある.
〈了〉
SourceNotes
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