『職業としての小説家』村上春樹著 オリジナリティの重要性を学ぶ.#新潮文庫

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この記事は,村上春樹の著書『職業としての小説家(新潮文庫)』をおすすめする記事です.
『職業としての小説家』には,自分らしい文章を書くためのヒント,個人がオリジナリティを追求するためのヒントが,沢山つまっています.

最近,「オリジナリティとは何だろう」「自分らしい文章やコンテンツってどんなモノだろう」といったことを考えているのだけれど,村上春樹の『職業としての小説』(新潮文庫,630円)の『第四回 オリジナリティーについて』に様々なヒント,沢山の気づきがあったので,そこからの引用を中心に紹介します.

「オリジナリティとは〇〇である」のような明確な解答は,簡単に見つかるモノではないと思う.ただ,ここに記した文章や引用から何か感じてもらえれば幸いです.

村上春樹著『職業としての小説家』に,オリジナリティの重要性を学ぶ.

『職業としての小説家』村上春樹著 オリジナリティの重要性を学ぶ.

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『職業としての小説』の『第四回 オリジナリティーについて(87〜116p)』では,「ビートルズ」「ストラヴィンスキー」「ボブ・ディラン」の音楽などを事例にしつつ,村上春樹のオリジナリティーについての考え方とその答えが紹介されています.

正直,この章すべてを引用したいくらい,めちゃくちゃ勉強になる内容でした.引用した箇所が少しでも気になる人は,僕のブログなどは読むのをやめて,すぐに書店までこの本を買いに行くか,Amazonでポチったほうがよいと思います.

じゃあオリジナリティーというのは時が経つにつれて色褪せていくものなのか,という疑問が生じるわけですが,これはもうケース・バイ・ケースです.オリジナリティーは多くの場合,許容と慣れによって,当初の衝撃力を失っていはいきますが,そのかわりにそれらの作品は—— もしその内容が優れ,幸運に恵まれればということですが —— 「古典」(あるいは「準古典」)へと格上げされていきます.そして広く人々の敬意を受けるようになります.

村上春樹は,オリジナリティーの条件として以下の3つがあげています.

  • 独自のスタイル
  • 自己革新力
  • (後々)そのスタイルがスタンダード化すること

3番目の条件については,自分自身ではなんともしづらいところなので,「独自のスタイル」と「自己革新力」の2項目は,意識して取り入れたいものです.

僕の考えによれば,ということですが,特定の表現者を「オリジナルである」と呼ぶためには,基本的に次のような条件が満たされていなくてはなりません.

(1)ほかの表現者とは明らかに異なる,独自のスタイル(サウンドなり文体なりフォルムなり色彩なり)を有している.ちょっと見れば(聴けば)その人の表現だと(おおむね)瞬時に理解できなくてはならない.

(2)そのスタイルを,自らの力でヴァージョン・アップできなくてはならない.時間の経過とともにそのスタイルは成長していく.いつまでも同じ場所に留まっていることはできない.そういう自発的・内在的な自己革新力を有している.

(3)その独自のスタイルは時間の経過とともにスタンダード化し,人々のサイキ(訳注: 精神という意味)に吸収され,価値判断基準の一部として取り込まれていなくてはならない.あるいは後世の表現者の豊かな引用源とならなくてはならない.

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「その行為を愛しているか」「明日もし自分が死ぬとわかっても,その行為を行うか」

著者はこの章で,(文章を書くでも,音楽をつくるでも,何でも構いませんが)自分の取り組んでいる行為が,オリジナルなものになっていくかを判断するために,「なにが大切なことか」を自身の経験談として書いています.

多くの偉人たちが言うように,「その行為を愛しているか」「明日もし自分が死ぬとわかっても,その行為を行うか」は,とても大切なことです.もしそこに不調和なものが紛れ込んでいたら,その要素を取り除かねがなりません.

それでは,何がどうしても必要で,何がそれほど必要でないか,あるいはまったく不要であるかを,どのようにして見極めていけばいいのか?
これも自分自身の経験から言いますと,すごく単純な話ですが,「それをしているとき,あなたは楽しい気持ちになれますか?」というのがひとつの基準になるだろうと思います.もしあなたがなにか自分にとって需要だと思える行為に従事していて,もしそこに自然発生的な楽しさや喜びを見出すことができなければ,それをやりながら胸がわくわくしてこなければ,そこになにか間違ったもの,不調和なものがあるということになりそうです.そういうときは,もう一度最初に戻って,楽しさを邪魔している余分な部品,不自然な要素を,片端から放り出していかなくてはなりません.

章の最後の方にも,「ハッ」と考えさせられる言葉があります.

オリジナリティーを出していくためには,漠然と技術や経験の足し算のようなものが必要だと考えていました.が,むしろ,「本来の自分はそもそもどんなものか?」「本来の自分はどんな性質を持っているのか?」といった,引き算のような思考が重要だと書かれています.

これはあくまでも僕の個人的な意見ですが,もしあなたが何かを自由に表現したいと望んでいるなら,「自分が何を求めているか?」というようりはむしろ「何かを求めていない自分とはそもそもどんなものか?」ということを,そのような姿を,頭の中でヴィジュアライズしてみるといいかもしれません.

オリジナルなモノを生み出すためには,何も求めていない状態のナチュラルな自分自身となり,その状態のままで創作をおこなうこと,そしてそれを続けていくことが大切です.

仮に,たったひとつだけオリジナリティーのあるモノを生み出しても,それは歴史の中に埋もれてしまいがち.よく「一発屋」と,世間で言われてしまうような状態になってしまいます.

それに比べると「何かをもとめていない自分」というのは,蝶のように軽く,ふわふわと自由なものです.手を開いて,その蝶を自由に飛ばせてやればいいのです.そうすれば文章ものびのびしてきます.考えてみれば,とくに自己表現なんかしなくたって人は普通に,当たり前に生きていけます.しかし,にもかかわらず,あなたは何かを表現したいと願う.そういう「にもかかわらず」という自然な文脈の中で,僕らは意外に自分の本来の姿を目にするかも知れません.

村上春樹は35年以上小説を書き続けていますが,所謂スランプのようなモノを一度も体験したことがないそうです.理由は,小説を書こうという気持ちにならない時は小説を書かないからだ,と話しています.

では,そんなときに何をしているのか?.「売れっ子作家だから,それで通用するのだろう」と考えるかも知れませんが,そうではありません.村上春樹は,小説を書こうという気持ちにならない時は,「英語→日本語」の翻訳の仕事をしているそうです.

翻訳は技術的な作業なので,小説を書くのとは異なるモチベーションで,仕事を行うことができるそうです.そうして,翻訳をしたり,エッセイを書いたりしていると,「そろそろ小説でも書こうか」という気持ちになるそうです.

僕は翻訳家ではないので,想像することしかできませんが,恐らくこうして本のおすすめを書いたり,ガジェットのレビューをまとめたりする状態と,似ているのかもしれません.創作活動とは言えないような作業,でもそれで仕事として成立するもの,そんなモノを持っていることは,意外と大切なのかも知れません.

以上が,『職業としての小説家』から学んだ,オリジナリティーの重要性とオリジナルなモノを生み出すために必要なこと.

  • 「自分にしか書けない文章」
  • 「自分にしか撮れない写真」
  • 「自分しかつくれない音楽」
  • 「自分しか踊れないダンス」

オリジナリティーを表現すること,それを生み続けることは簡単なことではありません.そしてその答えは,自分が生きている間には分からないかもしれません.

それでも,自分の中から生まれてくる「何かを表現したい」という気持ちがあれば,それを正しい方向にアウトプットし続けることが,オリジナリティーを表現する一番の近道なのでしょう.

They produced a sound that was fresh, energetic and unmistakably their own.
(彼らの創り出すサウンドは新鮮で,エネルギーに満ちて,そして間違いなく彼ら自身のものだった)

とてもシンプルな表現だけれど,これがオリジナリティーの定義としていちばんわかりやすいかもしれませんね.「新鮮で,エネルギーに満ちて,そして間違いなくその人自身のものであること」.

〈了〉

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