『写真講義』ルイジ ギッリ著,みすず書房.購入後の所感と読書備忘録.#写真についての覚書

Photo : SMATU.net

みすず書房が発行している『写真講義』という本を買った.

以前から気になっていた書籍だったのだが,書店で手に取る機会が無く購入を先延ばしにしていたところ,つい先日博多駅の丸善に行ってみるとたまたま在庫があった.少し立ち読みしてみたが,図版の美しさや文章に惹かれてそのまま購入してしまった.

まだ全部を読めていないが,素晴らしい本だと感じている.

博多駅8階にある丸善で,たまたま巡り会えた『写真講義』.
駅はライトアップもされていて,綺麗な空間でした.

著者のルイジ ギッリは,アジェ,エヴァンス,ケルテスなどから影響を受けたイタリアの写真家である.この本は,1989年から1990年にかけて,当時レッジョ エミリアにあったグラフィック/広告デザインの専門学校「プロジェクト大学」で行われた講義の録音を書き起こしたものになる.

「カメラ」「露出」「歴史」といった写真では一般的なテーマから,「自然のフレーミング」「音楽のためのイメージ」といった一風変わった視点の講義まで,全13講義が収められている.写真家でもあるギッリが撮影した作品を中心に,150点以上の図版が収められており読みやすい内容になっている.収録されている図版は,写真史を学ぶうえで重要なものや,貴重な写真が多く入っていると感じる.

みすず書房の『写真講義』.
まだ全部を読めていないが,素晴らしい本だと感じている.

内容については,読み終えてから詳しく紹介するとして,今回は『写真の特性』について語られている箇所が心に残ったので,その部分を引用して本の紹介を終わりにしようと思う.

僕は定期的に「写真のもつ特性や優位性とは何だろう??」と考えることがあるのだけれど,以下に引かせていただいたギッリの言葉は,自分の中にあるまだモヤッとしている「写真の優位性」を少しはっきりとさせてくれたような気がする.

写真は,映画やテレビとは違います.映画やテレビでは知覚するスピードが非常に早いので,もはや私たちは何も見ていません.写真では,喩えて言えば,誰かに新聞のページをめくられずに,一つの記事だけを読むことができるのです.私がきわめて大切にしているのは眼差しの緩やかさですが,今日では,近年の技術的,知覚的な加速に私たちの眼差しは飲み込まれてしまいそうです.固定されたイメージ,つまり静止画は,読み取ったり考えたりする時間,つまり掘り下げる時間を与えます.このような写真の特性が今日ほど重要になったことはないと思います.

『写真講義』50ページより引用

写真や静止画は,映像や映画とは異なり,世界の一瞬だけを切り取って見る側に提示する場合がほとんどである.見る側は,その何百分の一秒,何千分の一秒という単位でとらえられ,定着された光の画を眺めることになる.動画とは違って,そこにある絵は変化せず,音さえも聞こえてこない.

動画と静止画の大衆に与える影響は,特に現代メディアの消費のされ方おいて顕著な差が生まれていると感じる.日本国内の動画メディアの利用者数は,YouTubeで6,500万人,TikTokで950万人程度とも言われているが,動画メディアのユーザー数や利用時間は拡大傾向にある.近年ではNetflixやプライムビデオなどのストリーミングの利用も増えているので,人々が動画に触れる時間と静止画に触れる時間には益々開きが生じていることが推測できる.

ギッリが残してくれた『写真講義』を通じて,答えは一生かかっても出ないかもしれないけれど,写真が持つ優位性をもうしばらく探ってみようと考えている.

多くの人が,もはや写真は時代遅れと考えているかもしれないけれど,僕は写真の持つ良さや可能性を捨てきれないでいるうちの一人だ.ギッリも同じだったと思う.かつて写真は,何かを知るための,または何かを伝えそれに応えるためのメディアだったが,現在ではそうではなくなってしまった.しかし写真は,人々に対して”ある種の問い”を投げかけることができる言語であり続けていると思う.これが写真の持つ優位性であり,偉大な潜在能力なのかもしれない.

ギッリが残してくれた『写真講義』を通じて,答えは一生かかっても出ないかもしれないけれど,写真が持つ優位性をもうしばらく探ってみようと考えている.

〈了〉

SourceNotes

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