雨に映る世界 #写真についての覚書

昔は雨の日が嫌いだった,理由は天パ(天然パーマ)の髪の毛がクルクルなるから.大人になってから,コンプレックスが個性に変わり,それほど雨は嫌いではなくなったけれど,それでも濡れるし道は混むので「雨の日が好き」にはなれなかった.

しかし,写真を撮るようになってからは,雨が見せてくれる世界があることに気づき,「たまには雨もいいかも」と思えるようになった.

そんなことを考えながら雨の写真を編集しているとき,亡くなった父の遺した文章がふと頭をよぎった.芸術家だった父は,「現実の姿」というタイトルで雨上がりの風景を見て,こんな事を考えていたらしい.芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の引用とともに,文章を拝借することにした.

●現実の姿
雨上がりには周りの風景を静かに映す水溜りが現れる。そこには、現実と等価の正確に反転した世界がある。歩いて帰る道すがら、あちこちで出会うと、現実と真反対のものがこの世界を支えているような奇妙な錯覚におそわれる。そしてどこかに、その異界に向かって口を開けた不気味な表面がひとつぐらいはある様な不思議な気分になってしまう。芥川龍之介は似たような体験をしたに違いない。何処かに地獄の底の見える水面があるように思ったのではないか。

父の遺した文章

「ある日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好い匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極楽は丁度朝なのでございましょう。
やがて御釈迦様はその池のふちに御佇みになって、水の面を蔽っている蓮の葉の間から、ふと下の容子を御覧になりました。この極楽の蓮池の下は、丁度地獄の底に当って居りますから、水晶のような水を透き徹して、三途の河や針の山の景色が、丁度覗き眼鏡を見るように、はっきりと見えるのでございます。」

「蜘蛛の糸」芥川龍之介

<了>

SourceNote

  • カメラ:NIKKOR Z6
  • レンズ:Nikon W-NIKKOR 3.5cm f/2.5
Advertisements