夏目 漱石『草枕』に書かれている芸術の尊さ.#写真についての覚書

智に働けば角が立つ.情に棹させば流される.意地を通せば窮屈だ.兎角に人の世は住みにくい.
住みにくさが高じると,安い所へ引き越したくなる.どこへ越しても住みにくいと悟ったとき,詩が生まれて,画が出来る.
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない.矢張り向こう三軒両隣りにちらちらする唯の人である.唯の人が作った人の世が住みにくいからとて,越す国はあるまい.あれば人でなしの国へ行くばかりだ.人でなしの国は人の世よりも猶住みにくかろう.
越す事のならぬ世が住みにくければ,住みにくい所をどれほどか寛容て,束の間の命を,束の間でも住みよくせねばならぬ.ここに詩人という天職が出来て,ここに画家という使命が降る.あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし,人の心を豊かにするが故に尊い.

『草枕』夏目 漱石(新潮社)5-6pより

「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり…」から始まるトルストイの『アンナ カレーニナ』もそうであるように,長い時間というフィルターを経ても残り続ける文学は,人の心に残る強烈な一文がある.『草枕』の「智に働けば角が立つ.情に棹させば流される…」もそんな記憶に残る言葉だと感じた.

夏目 漱石は,1905年(明治38年)に発表した『吾輩は猫である』が好評だったことから,次々と小説を書いていった.『草枕』は,『吾輩は猫である』の翌年に書かれた初期の作品だ.漱石は,1867年に生まれなので『草枕』を書いたときは40歳,50歳で胃潰瘍が悪化して無くなるまで10年間小説を書き続けていた.

そんな夏目漱石も,小説を書き始めた頃は,世の中は窮屈で過ごしにくいと感じていたのだろうか.冒頭も文章も秀逸であるが,個人的には引用後半にある芸術についての文章がとても気に入っている.住みにくい世の中を少しだけ過ごしやすくするために,詩が生まれて画が出来る.

漱石が『草枕』を書いて100年以上が過ぎた.その間に作られた,詩・画(絵)・小説・写真・映画といった様々なコンテンツの多くは,世の中をほんの少しだけ良くするために誰かが生み出したものだと思う.

<了>

坂道をのぼりながら,こう考えた.

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