アンリ・カルティエ=ブレッソンのインタビューや会話を書籍化した『見ることからすべてがはじまる』を購入した.クレマン シュルー/ジェリー ショーンズ編,久保 宏樹訳で,出版社は読書人.大好きな写真家ということもあるが,ブレッソンの語る言葉は心に残るものが多い.良書だと思った.
タイトル:見ることからすべてがはじまる アンリ・カルティエ=ブレッソン インタビュー/会話(1951-1998)
編集:クレマン シュルー/ジェリー ショーンズ
翻訳:久保 宏樹
出版:株式会社 読書人(2021年12月3日発行 第一刷)
定価:3,740円(本体3,400円+税)
ブレッソンは2004年に亡くなっているので,死後15年以上が経過している.それほど時間が経過しているにもかかわらず,新刊が発行されるのはファンとしてはとてもありがたい.印象に残った箇所をいくつか引用しておくので,気になる人はアマゾンで早めにポチっておくことをおすすめする.ニッチな本で価格もそこそこするため,いずれ廃版になる予感がしている.
『見ることからすべてがはじまる アンリ・カルティエ=ブレッソン インタビュー/会話(1951-1998)』#読書備忘録
ブレッソンは映画と写真の違いを以下のように語る.これを読んだとき,動画と静止画の本質的な違いと,自分が動画に興味がわかない訳を言語化できたような気がした.写真は見る側に「問い」を与えるが,動画は問いを与えずに「語る」メディアだ.写真を見ると能動的に考えることが多いが,動画を見た場合は受動的に説明をされることがほとんど.メディアとして(見る側が)能動的なのが写真であり,受動的なのが動画である.ここに写真と動画の本質的な違いがあると思う.
私の考えでは,映画は写真と何の関係もありません.写真は,デッサン,リトグラフ,絵画と同じく平面上で見られる視覚的存在です.映画は語りです.映画の一コマそのものが見られることはありません.常に,連なる写真が見られているのです.映画と写真はまるっきり異なるものです.(111p)
ブレッソンは有名な写真を多く残している.以前紹介した『アンリ・カルティエ=ブレッソン 写真集成』という写真集にも納められているガンジーを撮影した写真があるが,それは以下のような環境で撮影されたらしい.確かに少しだけボケた写真だが,ブレッソンの言うようによい写真だと感じた.現代の写真はカメラ性能が向上していることもあり「ピントが合っていて解像していなきゃダメ」といった風潮が一部あるが,決してそうではないと改めて納得できた.
それはインドにおいて撮影した,死の直前のガンジーが断食をやめる瞬間でした.1/15のシャッタースピードで撮影した一枚です.ボケていましたが,写真を撮ることができたのです.しかし,十分にいい写真であったと思います.『ハーパーズ バザー』誌が見開きで掲載しました.いずれにせよ,ボケていようがいまいが,明瞭であろうとなかろうが,よい写真というものは,何か.被写体のプロポーションと黒と白との関わりが問題となるのです.(26pより)
ブレッソンは「Leicaと50mm」のレンズを使って常に写真を撮っていたと,何かの本で読んだことがある.『見ることからすべてがはじまる』のインタビューによると,1952年頃のブレッソンは「50mmのレンズをふたつ,35mmのレンズをひとつ,135mmのレンズをひとつ」使って作品を撮っていたらしい.そしてLeicaの50mmと別に持っていたもう一つのレンズは,Nikonの50mmだと話している.Nikon使いとしてちょっと嬉しいエピソードだった.やはりNIKKORレンズは当時から優れていたのだ.
50mmのレンズをふたつ,35mmのレンズをひとつ,135mmのレンズをひとつ使用しています.ほとんどいつも,標準レンズで仕事をしています.風景を撮影するためには,前方に写り込む重要でないものを取り除くために,多くの場合,望遠レンズ—通常,私は135mmを使います—が必要とされます.望遠レンズの被写界深度は,動きのある写真を撮るためには浅くなります.広角で仕事をすることはほとんどありません.同じショットに本当にいくつもの要素が現れてしまい,事物を構成するのを複雑にしてしまうのです.(27pより)
<了>
SourceNote
- 見ることからすべてがはじまる(出版社:読書人)