写真が好きなので「カメラの歴史」「写真術の成り立ち」などの情報を,適宜加筆しながらまとめている.まずはざっくりした年代で区切って,備忘録的な感じで文字にしておこうと思う.ここでは,ニセフォール ニエプスがカメラオブスクラを使った映像を固定する実験に着手した1816年から,年代区切りの便宜上1849年までの情報を記録している.
写真の歴史 1800-1849年
- 1816年: ニエプスが「カメラオブスクラ」を使った映像を固定する実験に着手
- 1824年: ニエプスが「ヘリオグラフィー」を発明
- 1826年: ニエプス,ヘリオグラフィーで世界初の風景写真の撮影に成功
- 1833年: ニエプスが死去,ダゲールは研究を続ける
- 1838年: ダゲレオタイプが完成
- 1839年: フランスの科学アカデミーで,フランソワ アラゴが「ダゲレオタイプ」を発表.同年イギリス王立協会でタルボットも写真術を披露
- 1841年: タルボットが新しい写真術を「カロタイプ」と名付け特許を取得する
- 1842年: ジョン ハーシェルが青写真を発明
- 1843年: タルボットが写真印刷所を開業し,世界最初の写真集『自然の鉛筆』を出版する
- 1847年: 世界最初の写真協会「カロタイプ協会」がロンドンで設立(後の「ロンドン写真協会」)
- 1848年: ニエプス ド サン ヴィクトール,アルビューメンをガラス板に塗ったもの使って,ネガをつくる方法を考案
カメラのはじまり: 「カメラオブスクラ」「ニエプス」「ダゲレオタイプ」の歴史
カメラという言葉は,もともとはギリシャ語の「カメラオブスクラ(Camera Obscura)」から発していると言われている.「カメラ・オブスクラ」「カメラオブスキュラ」「カメラ・オブスクーラ」など日本でのカタカナ表記は様々だが,一番ポピュラーだと感じる「カメラオブスクラ」統一しておく.(※カタカナの間にある「・(ナカグロ)」も個人的に嫌いなので割愛)
カメラオブスクラは,「暗い部屋」という意味.レンズ無しのピンホール(レンズが無い小さい穴だけ)で,16世紀ごろからは作られるようになったと考えられている,そもそもカメラオブスクラは,画家が絵を描くための道具として使っていたので,カメラの歴史を学ぶには,ヨーロッパ美術史にまで遡らないと本当に理解したとは言えないのだろう.カメラの歴史は奥深いものだ.
当時,カメラオブスクラを使ってスケッチをしていた画家たちは,その色彩と写し出される像の精確さに魅せられ「この像をそのまま(化学的に)定着できたらどれほど便利だろう」と考えるようになっていた.そして,その夢は様々な学者や研究者,熱心な画家たち,更に科学技術の進歩によって次第に芽を吹いていったのである.
- 1816: ニエプスが「カメラオブスクラ」を使った映像を固定する実験に着手
- 1822: ダゲール,パリにジオラマ館を開館
- 1824: ニエプスが「ヘリオグラフィー」を発明
- 1826: ニエプス,ヘリオグラフィーで世界初の風景写真の撮影に成功
- 1829: ニエプスとダゲールが共同研究の契約を締結
- 1831: ダゲールが沃化銀(ようかぎん)の感光性を利用して写真実験を行う
- 1833: ニエプスが死去,ダゲールは研究を続ける
- 1838: ダゲレオタイプが完成
- 1839: フランスの科学アカデミーで,フランソワ アラゴが「ダゲレオタイプ」を発表.
初期の写真技術は,1816年にフランスのジョセフ ニセフォール ニエプスよって考案されたというのが通説で,ヘリオグラフィー(英: heliograph)と呼ばれていた.ヘリオグラフィーは,太陽の光を利用した写真製版法のことや,その装置のことを指している.
ニエプスは1826年7月,部屋の窓から外を見た景色を定着することに成功していて,この写真は世界ではじめて撮られた写真とされている.
1829年になると,同じくフランスの画家だったルイ ジャック マンデ ダゲールとニエプスは共同研究をはじめる.1833年にニエプスが無くなった後も,ダゲールはひとりで研究を続け,1838年に『ダゲレオタイプ』が完成する.
世界最初の写真『View of the courtyard』がたどった数奇な運命
この写真は,「View of the courtyard」「中庭からの眺め」「サン ルド ヴァレンヌの窓からの眺め」など様々な呼ばれ名がついていて.ニエプスが撮影した後,面白い運命をたどっている.
1827年にニエプスがロンドン王立協会のバウアー博士に提出した『View of the courtyard』は,19世紀のあいだに2度競売にかけられている.
1898年にロンドンに展示された後,それから50年間この写真は倉庫のトランクの中に入ったまま忘れ去られてしまう.その後,やっとのことで写真収集家のヘルムート ゲルンシャイムが発見し,1964年になるとこの写真はアメリカテキサス大学へと寄贈されるのだ.
その他
〈光の化石〉,森山大道の語るニエプスの作品.
写真のはじまりについては,様々な人たちが自らの言葉で言語化しているが,僕は写真家の森山大道が著書『写真との対話』の「〈光〉学」の章で書いている短い文章がとても気に入っている.
一八二六年七月,その日,フランスの片田舎サン・ルウに降りそそいでいた眩しい陽光は,約八時間もの刻をかけて,一枚のアスファルト溶液板のなかに焼き付けられていった.その,カメラ・オブスクラに嵌め込まれた一枚の板は,そのまま,人類最初の〈光の化石〉となって現在に残されて在る.ニセフォール・ニエプスという一人の化学者が,その日自宅の二階の裏庭から視た風景を,そのまま石化してしまったのであり,そして,それこそが,世界で初めての〈写真〉となったのである.
〈光の化石〉,なんとも詩的で心地よい言葉.この本を読んでから,人類最初の写真のことを〈光の化石〉と表現する森山大道の撮る写真が,これまで以上に好きになってしまった.時代を感じるキャッチーな写真が撮れるうえに,人の脳内に刻まれる文章を紡ぐことのできる森山大道は,すごい写真家だと思う.
日本には1840年頃にカメラが伝わっている
島国日本にも,カメラは比較的早い段階で伝来していて,1840年ごろには「写真機」「写真鏡」としてカメラが使われ始めている.今でも「ピント」という言葉が使われているが,このピントという言葉も「フォーカシングポイント」の「英: Point」に相当する部分の「蘭: Punt」が語源となっている.
<了>
SourceNotes
- カメラとレンズの事典(日本カメラ社)
- 写真の歴史(創元社)