外出するとき,スマホよりカメラを優先して持ち歩くほど,ここ2-3年は写真にハマっていると思う.なんなら家の中でもカメラをぶら下げているので,たまに家族から変な目で見られることもある.
そんな風に写真を日常的に撮っていると,Lightroomのライブラリ内に”日常の何でも無い景色”の写真が無限増殖のように増えていってしまう.「そんな価値のない写真は削除すればいいじゃないか」という声が聞こえてきそうだが,自分が何となく「いい感じ」と感性が動いてシャッターを切ってしまった写真は,簡単に削除することもできない.
そんな風にして,”日常の何でも無い景色”の写真は溜まっていく.
先日,ウィリアム ヘンリー フォックス トルボットが著した『自然の鉛筆 / THE Pencil of Nature(赤々舎)』を購入した.その中に綴られているトルボットの言葉に,(自分がこの数年抱いていた)”日常における何気ない瞬間”を収めた写真の価値を考えさせてくれる,一文を発見することができた.
以下に,そのトルボットの言葉を引いておく.
日常的で身近な出来事の光景を描写の主題にすることについては,オランダ絵画に多くの先例を見出すことができる.
引用: 『自然の鉛筆』ウィリアム ヘンリー フォックス トルボット著(赤々舎)
画家は,しばしば,凡人が何も気づかないところに目を留める.
何気ない一条の陽の光,小径を横切るように伸びる影,老い衰えた樫の木,苔むした岩,ときにはこうしたものがきっかけとなって,次々にさまざまな思いや感覚,さらにはピクチャレスクな想像が広がっていくこともある.
自分の感性や撮った写真のことを,「画家は,しばしば,凡人が何も気づかないところに目を留める」ような作品,とまでは思わない.けれど,日常的に出会う美しい景色の価値や,それを写真に撮ることの意味は,ここに記されているように思えた.そして,写真を好きな人達は,ついついその日常的に出会う景色にカメラを向けてしまうのだろう.
これからも,「何気ない一条の陽の光」「小径を横切るように伸びる影」「老い衰えた樫の木」「苔むした岩」,そんなオブジェたちを日常の中に見出し,懲りずに撮影していこうと考えている.
〈了〉
SourceNotes
- 『自然の鉛筆 / THE Pencil of Nature』ウィリアム ヘンリー フォックス トルボット著(赤々舎)