「道」の写真,NIKKOR Z 50mm f/1.8作例.#通行人や車輌が存在しなくてもそこに在るもの #それ自体は空洞な器だろう

鈴木一誌の著書で,『重力のデザイン』という本がある.ブックデザインの専門家の綴ったテクストが,紙という平面を埋める.デザインと,写真と,映画について書かれた本.

その冒頭,「道」について触れている箇所がある.少し長いが,そのまま引用させてもらう.

先日も,「道」が写っている写真がないかを,自分で撮影した写真から探そうとしたところ,そこにはさっぱり「道」が写っていない.
わたしのような素人が写真を撮るばあい,近所の散歩にしても観光にしても,ほとんど言ってよいほど,道をあるいていのだから,シャッターを押せば,画面には道が何らかのかたちで写ってしまう.たしかに,ポジフィルムの片隅には道らしきものが見える.が,それは「道」ではない.道は,ひとが行き来し自動車が通行する,それ自体は空洞な器だろう.往来する人間やクルマを写して,道を撮ったことにするのは,よくある.しかし道は,通行人や車輌が存在しなくても,そこにあるはずだ.

『重力のデザイン』
鈴木一誌の著書『重力のデザイン』

「道は,ひとが行き来し自動車が通行する,それ自体は空洞な器だろう」
「道は,通行人や車輌が存在しなくても,そこにあるはずだ」

こんなふうに「道」について考えたことは,40年生きていて,ただの一度も無かった.「1行でも心に残る言葉があれば,それだけでその本を買う価値がある」と,誰かが本を買うことの意味について書いていたけれど,本当にそのとおりだと思う.道についての自分の価値観を,いい方向に変えることができた.『重力とデザイン』という本,巡り会えてよかった.

そんなふうに「道」のことを考えながら,Nikon Z6とNIKKOR Z 50mm f/1.8を持って,道,目にとまったモノ,風景を撮影.

「道」の写真,NIKKOR Z 50mm f/1.8作例.

道は,ひとが行き来し自動車が通行する,それ自体は空洞な器だろう.

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往来する人間やクルマを写して,道を撮ったことにするのは,よくある.しかし道は,通行人や車輌が存在しなくても,そこにあるはずだ.

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通行人や車輌が存在しなくても在る「道」
それ自体は空洞な器である「道」

〈了〉

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