『明るい部屋/ロラン バルト著』の背表紙にかかれている言葉,写真を撮ることのメリット.#短文雑記

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ロラン バルトの書いた『明るい部屋』という本がある.この本はおそらく(自分が写真を撮り続けるかぎりは),死ぬまで読み続けるだろう一冊で,読むたびに様々なことを考えさせてくれる.添い遂げたい本といった感じだ.「良い本とはどんな本ですか?」と聞かれたときは「答えを与えてくれる本ではなく,読み手を考えさせてくれる本です」といつも応えるようにしているが,この本は読むたびに考えさせてくれる本だと思う.

最近はこの本を,鞄に忍ばせたり枕元においておいたいりと何度の読み返しているので,こうして心にとまった文章をメモに残すようにしている.以下は『明るい部屋』の背表紙に書かれている文章の引用で(僕の手元にあるのは,かなり古い版なので,現在の版には入ってないと思う),『チベット道の実践』からの一文.

本を手に取るたびに目にする短い文章だけれど,物事をどう捉えるべきか,時々の心境に応じて考えるきっかけを与えてくれるので紹介しておきます.

「マルバが息子の死によっていたく心を動かされていると,弟子たちに一人が言った.《師匠は常々すべては幻影にすぎないとおっしゃっていただはありませんか.御子息の死もまたしかり,幻影に過ぎないのではありませんあか?》と.マルバはこれに答えて言った.《しかり,されどわが息子の死は超幻影なり》と」(『チベット道の実践』)

僕が写真を撮ることが好きな理由の一つに,「その時,自分がどんなモノに心を動かされたかを思い出させてくれる」ということがある.人間の記憶は曖昧なものなので,撮るなり書くなりしておかないと,見たこと,考えたこと,感じたことなんかすぐに忘れてしまう.僕の場合,特に覚えておくのが苦手なので写真に撮るなり,文章に残すなりしておかないと,すぐに脳のメモリから記憶が消去されてしまう.

写真を撮っておけば,「君が見たり感じたりしたことは,幻影では無かったよ」と,写真たちが励ましてくれているような錯覚を感じるときがある.これはカメラを持って写真を撮ることの,小さなメリットだと思う.

<了>