書くことのリハビリ #写真についての覚書

多忙なせいか,はたまた撮ることを制限されているせいか.22年に入ってブログの更新ペースが落ちている.1月は6投稿,2月は3投稿,そして3月は折り返しという時点で1投稿しかできていない.

このままではいけないと考え,撮ることと書くことのリハビリからはじめようと思いこの投稿を書いている.

そして同じく思いつきなのだが,ブログ名を(記事のタイトルにもよくつかっている)「#写真についての覚書」に変更することにした.理由は,最近マーケティングについて独学で学んでいるのだが,「名前がわかりづいらと売れない」といった理論を知ったから.読む人が何のブログなのか解らないのはよくない.弊ブログは雑記なので,過去にiPhoneやゲームの投稿も数多くしているが,現在は写真がテーマなのでこれでいいと思う.

デジタルの恩恵は,効果測定が簡単なことと,変更や修正が安易にできることだと考えている.タイトルを変えてしっくりこなければ,また戻せばいい.デジタル時代に生きる恩恵を存分に享受してみよう.

とりあえず,書くことのリハビリはこれくらいにしておきます.ちょうど400文字くらい.村上春樹も言っていたが,書くことを生業とする人たちは「原稿用紙で何枚」といった数え方をするらしい.この投稿は原稿用紙カウントで1枚だが,リハビリと考えて,とりあえずよしとしておこう.

<了>

それから僕は『イエスタデイ』と『独立器官』という小説を,「文藝春秋」に掲載することを取りあえず念頭に置いて書いた.どれも枚数は四〇〇字詰め原稿用紙にして八十枚と,短編小説にしてはかなり長い分量だった.でもそれくらいがその時期の僕には「ぴったりくる」分量だったようだ.

引用:『女のいない男たち』まえがきより
書くことを生業とする人たちは「原稿用紙で何枚」といった数え方をするらしい.