書籍レビュー | ジョナサン・アイブ 偉大な製品を生み出すアップルの天才デザイナー 第3回(全4回)

書籍レビュー | ジョナサン・アイブ 偉大な製品を生み出すアップルの天才デザイナー 第3回
先日AppleのCDO(チーフデザインオフィサー)にジョナサン・アイブ氏が就任されました。
就任を記念して「書籍 | ジョナサン・アイブ 偉大な製品を生み出すAppleの天才デザイナー」のレビューをお届けしています。
今回は第3回目です。

iTunesとiPodの開発

2000年代に入るとAppleの経営は安定してきます。
Macはヒットを続け、新しいオペレーティングシステムのMac OS X(マック オーエス テン)が導入されます。

急速に音楽のデジタル化が進んでいた当時、出遅れていたAppleはキャサディ・アンド・グリーン社を買収しiTunesの開発をスタートします。

また、iTunesが使えるデバイスの開発も併せて進められます。
(このデバイスが後に初代iPodとして発表されます)

デバイスの開発当初、IDg(ジョニーの開発チーム)には余裕がなかったため外部コンサルタントのトニー・ファデルが開発を担当します。
(後にAppleの社員として入社、iPodプロジェクトのエンジニアリング責任者)

ジョニーのチームは、iTunes用デバイス(iPod)の最終製品仕上げ、外観、使い勝手を担当することになります。
「すごく自然であたりまえでシンプルで、デザインを意識させないものをはじめから目指していた」とジョニーは言います。
ユーザーインターフェイスのデザインが特に難しく、最終的にはダイヤル周りにボタンが4つ残るだけになります。
iPodのデザインを象徴するスクロールホイールもこの時の誕生します。

またバッテリーを交換できないような密閉構造にするなど、当時常識とされていた設計も見直されデバイスの小型化に成功します。

初代iPodの特徴である、ステンレス製の背面デザインも当初は反対が多かったそうです。

発売日が近づくにつれジョニー達はデザインを完璧なものにしようと必死になります。
今のアップル製品では当たり前になりましたが、パッケージに対するこだわりもこの次期を境につよくなりました。

iPodのパッケージは、それまでとは違い「顧客の体験」を重視して作られました。
「iPodは、僕たちがプロダクトデザインを全体と同じくらいパッケージに気を配った最初の製品だった。パッケージはその他のすべてと同じくらい重要だと考えられた」とジョニーは言います。
そしてiPodを宝石のようにして包むパッケージが完成します。

発表の2ヶ月前には実物のプロトタイプではじめての曲がかかります。
そのiPodではじめての聴かれた曲は、イギリスポップ会の女王ソフィーエリスベクスターをフィーチャーした「グルーブジェット(if this ain’t love」だったそうです。
ジョブスは、「すごい。めちゃめちゃクールだ」と感動しました。

製品発表会の前になると、パッケージを含め製品に関わるすべてがぬかりなく準備されました。

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iPodの発表〜そして社会現象へ

2001年10月23日
アップルのキャンパス内で行われた、報道関係者への特別イベントでiPodは発表されました。
911同時多発テロ事件のわずか1ヶ月後、世界がまだ衝撃に揺れる中での発表でした。
華やかな発表を好むジョブスにしては控えめなイベントでした。

それまでのヒット商品とは違い、iPodの発売後は少し様子が違いました。

「500ドル近くする高額なMac専用の音楽プレーヤー」そう認識されてしまっていたiPodの売上は低調なすべりだしでした。
しかし、iTunesStoreのコンテンツの充実、2年間かけてのWindowsPCとの完全互換にが進むと一気に普及がはじまります。

iPodをヒットをきっかけに、白のハイテク機器が続々と発表されるようになります。
iPodの白のデザインは、iMacの時の半透明と同じくデザインの潮目を見事に変えていったのです。

外観以外にもiPodは、小型デザイン、密閉されたケース、驚きの使いやすさといったその後のApple製品の標準をつくりました。
すべてがジョニーとデザインチームの貢献でした。

多くの専門家やアップル関係者は、「iPodは歴史的な偉業だった」と感じています。
U2のボノは「セクシー」と表現し、iPodはまもなく社会現象となっていくのです。

※スティーブ・ジョブズのiPod発表のダイジェスト版動画です。iPodの部分のみの、9分程度なのでぜひご覧ください。
フルバージョンは、文末にありますので併せてご覧ください。

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ジョニーの上級副社長への昇進と環境の変化

その後もiPodは順調にアップデートを重ねていき、カラフルでよりミニマムなiPodminiなど新しいモデルも発売されます。
大化けしたiPodは、AppleにとってMacと同じくらい重要性をもつ製品群になりました。

2004年
iPodは、一つの事業部として独立し当時ハードウェア全体を統括していたルビンシュタインが責任者となります。

Appleに多大なる貢献をしたジョニーは、2005年工業デザインの上級副社長に昇進します。

ジョニーとルビンシュタインは、以前から確執が深まっていました。
それまでジョニーはルビンシュタインの下についていましたが、この昇進をきっかけに同等の地位となります。

これからは、ジョブスに報告するだけでよくなったのです。

その後もジョニーとルビンシュタインの確執は深まり続け、2人の関係は限界をむかえます。

ジョニーはジョブスのところへ行き「自分か彼か」と迫ったそうです。
iPodなど、Apple製品の開発に欠かせなかったジョニーをジョブスは選びます。

2005年の10月
プレスリリースを出され、ルビンシュタインはAppleを去ります。
ルビンシュタインが去った後、デザイン部門と製造部門は密接に関わるようになっていきます。

その後Appleは、必然的に中国へと製造拠点を動かしていきます。

現在のAppleは、良くも悪くも海外生産が生み出す害悪の象徴的な存在となっています。
しかし、中国を中心にしたアジアへの製造拠点の移行が、これから登場するiPhoneとiPadの爆発的な大ヒットの伏線ともなるのです。

第4回(最終回)へ続く

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